隙と滓

ここにいないあなたへ

隙と滓

 就職活動にかまけて放置していた本ブログですが、再開してみようと思います。

誰に見せるものでもないけれど、偶然見つけてくれたあなたに。

 

隙と滓

実は名前を変えました。

といっても、無名のブログなのであれなのですが。

 

私は小さい頃からずっと違和感を持っていました。

「自分は特別なんだ」とか「才能がある」とかそういう物ではなくて、

人に染まりやすい個性を持つ反面、どうしても馴染めないしこりのようなものをいつも感じていたように思う。

グループに馴染んで、うまく学校での政治をこなしていても、

孤独を抱えていたり、心の芯は冷え切っていたり、同じ感覚になれないことが多々ありました。

診断を受けたことはないのですが、非定型発達の要素を持っているのかもしれないと今は思います。

 

自尊心も自己肯定感も低く、自分を傷つけることで顕示欲、承認欲求を満たしてきました。顕示と承認を肯定感だと錯覚していました。

この自分を傷つけるというのは、物理的なものではピアッシングや暴飲暴食、飲酒など、心理的なものでは自虐や卑下などが挙げられます。○○カットはする機会がありませんでしたが、ピアッシングで代用されていたように思います。

これらをすることでさらに自尊心や肯定感が下がり、顕示欲や承認欲求が爆発、心を満たすために自傷する。そんな負のループを持っています。

専門家ではないので詳しいことは書けませんが、私にとってはこの、自尊心、自己肯定感、顕示欲、承認欲求の4つのバランスを整える必要があるのかなと思っています。

 

昔、病気や怪我をしたときに心配されて嬉しくなりませんでしたか?

あの「怪我はないけれど絆創膏を貼っていたい」そんな感情から抜け切れていないのが私です。

 

これまでに書いてきたような、他者との心の隔たりや歪んだ心にたまった毒、これまでの多様な経験から零れ落ちた感情など、を、『隙と滓』として稚拙ながら綴り、

いつかキラキラした透き通ったものになれたらなと思っています。

 

徒然なるままに

こんにちは

 

男女差別や、ハラスメントに過敏な世の中になりましたね。

言葉狩りやコンテンツ制限も厳しくなりつつあります。

女性は性的に消費されやすいからこれらの対応も仕方ないのかもしれません。

 

しかし、フラットになるにつれて、人間はどこへ向かうのだろうと思いました。

私たちが人間(生物)である限り、オスであるメスであることからは逃げられないんですよね。性的に魅力的だから交尾するわけで。

良いパートナーであることと魅力的なことが両立できればいいのですが、私たちの嗜好が「中性的であること、無性的であること」に収束したら新たなジレンマに襲われると思うのです。

 

子を求めない人が増えたこと(金銭面や身体的な都合ではなく)、自死が増えていること。生き物として私たちはどこへ向かっているんだろう。どうなるのだろうと少し恐ろしくもあります。